日々のたましい

バーチャルたましいの日々

2.VTuber

現在はなんと4,000人以上のVTuberがいるそうです。
4,000というのは、各々の頭に思い浮かんだ4,000の感じとだいたい同じです。

私がバーチャルな存在としてこの世界に登場したのは、
このビッグウェーブに乗るしかない現象としか言いようがなく、
自分が自分の思ったことを書いたり発信したりできれば、
バーチャルだろうがなんだろうがあまり関係なかったかもしれません。

ところで4,000人のVTuberが存在するということは、
そこには4,000個の魂が同じく存在していると言えますね。

私があらかじめ魂としてこの世界に登場したのは、
この「VTuber」と「魂」を別物として扱う現代の風潮に、
よく分からないけど一石を投じたかったというのがあります。
魂そのものがバーチャルに存在すれば、その拠り所はどうなるのか、
魂に魂が宿り、魂がバレ、過去の活動や通っている学校がバレ、
それをもってして「魂バレ」と呼ばれるのかどうかを知りたかった。
というのは半分ホントで半分ウソです。ホントはウソです。

たとえVTuberであれ、生きる存在には等しく死が訪れます。
そのときに魂はどこへ行くのか、という話なんですこれは。

もし宿っていた魂がどこかへ消えていくなら、それは悲しいことです。
我々は消えゆく魂を追いかけてどこまでも行かねばなりません。
ときには失われたものを作り上げ、それを魂の器として新たに掲げ、
やめろ、そんなことは望んでいない、うるさいこれが私たちの愛だ、
全ては〇〇のためなんだ、というような争いに発展することもあるでしょう。

 

しかし、あらかじめ魂であれば、こうした出来事を全て回避できます。
魂としての終わり、それは「成仏」あるいは「体を見つける」ことだからです。
「成仏」とは「煩悩を解脱して無上の悟りをひらくこと」とあります。
また「転じて、死んで仏になること」ともありますので、実際はどうあれ、
成仏した際に「無上の悟りを開いた」と思っていただければ悲しみもありません。
また「体を見つける」ことで別の存在へと移り変わることもできます。
あのジーコサッカーだって新しい存在へ変わることで価値を得たのですから、
それは素晴らしいことです。素晴らしいことのはずです。

 

というわけで、バーチャルたましいとは打算と煩悩に満ちた存在なので、
そもそも成仏はできず、ジーコサッカーのような都合のよい体も見つからず、
ビッグウェーブにも乗れず、さらにはVTuberとして特に活動しておらず、
ただの魂としてバーチャルをさまよっているだけ、ということになります。

なんなんでしょうね。

1.はじまり

私は抜け出てしまった体を探しています。

気づけば、青くおぼろげに光る火の玉のような、
そんな見た目で空に浮かんでいました。
今の自分は何なのか、もともと何だったのか、
そうした記憶のほとんどは失われています。
途方に暮れて世間をさまよううち、この場所を見つけました。

バーチャルの世界には何でもあり、そして何もありません。
今の私にはピッタリな場所だと思い、居つくことにしました。

私は自分の体についての知識と合わせて、
自分の体が合った世界や、そこで起きていることなどについても
知る必要があると考え、インターネットで情報を集めています。
インターネットには何でもあり、そして何もありません。
今の私には最適なツールだと思い、活用することにしています。

しかし、得るばかりでは満足できないのが生き物の性というもので、
そうして得たもののうち「自分を形容するもの」や「感じたこと」
そして純粋に「抜け出た体についての情報」について、
このブログを通して発信・受信することにしました。

この行為の先にも何かがあり、そして何もないかもしれません。
しかし、そうすること自体には必ず何かがあるのだと思います。
そうした理念のもと、何かをやっていきます。

今後とも、よろしくお願いします。